蔵元通信2026年9月号
昭和六十年代Ⅱ
代表取締役社長 七代目 大井永吉
現在弊社は季節商品を合わせると商品数が大変多くなり、スクラップ・ビルドを繰り返しておりますが、私が天寿に入社した頃は特級・一級・二級・古酒大吟醸(全国新酒鑑評会出品用)・一級純米酒(東北品評会純米の部出品用)・寿天寿(本醸造)・玲瓏天寿(冷用酒)の6種類で九千石近くを販売し県内7位、その90%が二級酒で秋田県内販売比率99%と超地元型の酒蔵でした。
「この頃造り酒屋のお嫁さんが、私は女中に来たんじゃない!という離婚が増えてるんだよね。」と醸造機械屋にささやかれてギョッとした事がありました。2t日仕舞1.25本で約二百本。皆造だけでなく折り返しで百本祭りという飲み祭りもしておりました。蔵人も多く毎晩の泊りだけでも蔵人が8人もおり、私の子供が3人になった頃には家族が7人となり、朝晩の食事だけでも15人分で、お手伝いさんもおりましたが東京のサラリーマンの家から嫁いでそれに耐えきった家内に感謝・感謝・熱烈感謝です。
全国へ向けて初めて地方の名門酒蔵を糾合して、日本酒の付加価値の再構築と復権を標榜した日本名門酒会(株式会社岡永)様の基本24銘柄に秋田から天寿と新政が加盟しておりましたが、弊社の販売数量は1%に満たず営業活動も先代が総会?に一度参加しただけという事でした。宝酒造様で三年間営業の勉強をさせて頂いただけでしたが、(丁度第一次の焼酎ブームのスタートから激増のピークまでという時期で、宝焼酎純のCMが最初はデヴィッド・ボウイで次は石原プロとの関係か石原良純が赤褌でコマーシャルデビューと成った頃です。タカラ缶チューハイも爆発的ヒットで、その頃はフレックスタイムなど有るはずも無く、毎晩のように超体育会系の営業活動でした。今思うと有難いことに実に面白かったのですが…)これではいかんと商品開発したのが「二級 天寿純米酒」(地元産美山錦65%精米・協会9号酵母仕込み、一級は60%精米の吟醸仕込み、後に「雪の詩」と改名しリニューアル、女性が選ぶラベルコンテストで上位入賞) 冷や・燗とも名門酒会加盟店の評価が高く、当時唯一の県外担当営業の私としても、手ごたえのある商品となりました。続いてのヒットは「本醸造あきたこまち」(原料米あきたこまち65%精米・協会10号酵母)飯米のあきたこまちが大ヒットしそれを原料として本醸造を開発。もち成分が強く粘りへの対応に苦労したが、協会10号酵母とあいまって大変柔らかく飲みやすく、中々の人気で長女の誕生記念商品となりました。
醸し、語り、共に笑う
杜氏 一関 陽介
令和8酒造年度。私にとって杜氏15年目がスタートしました。
突然ですが、杜氏として一本の酒に想いを注ぎ込む仕事をさせていただく中において、「何が自分の幸せなのか」について最近良く考えます。
私は業務の範疇で飲食店様にお願いをして不定期ながら酒宴を催すことがあります。そこは単にお酒を提供するだけの空間ではなく、造り手である私自身が直接お客様と向き合い、会社の取り組みはもちろん、お酒の特徴やどんな想いで蔵人が醸したのかを話します。そこにお客様のその場の空気感や会話が合わさることで、その日、その場所でしか味わえない特別な「ライブ感」が生まれます。音楽のライブのようなものとは異なるかもしれませんが、私の言葉と想いを添えることで、グラスの中の酒は、その人の心に染み渡る体験へと変化してほしいと思っています。その場所でしか感じられない充実感に包まれ、参加していただいた方が自然と笑顔になっていく――。「この酒を飲んで百歳まで」とまでは言わずとも、飲み終えたお客様が「明日からまた頑張ろう」と前を向く活力を見出してくれたなら、これ以上の喜びはありません。
またプライベートでも先日約30年ぶりに中学時代の同期と集まることがありました。中にはたまに顔を合わせる仲間もいましたが、予想以上に日本酒を愛飲する仲間が多く、会場となったお店も「天寿・鳥海山」を日頃から大切に扱ってくださっているお店でした。私が酒造りに携わっていることを知っていた仲間もいれば、知らずに「鳥海山、美味しいよね」「初めて飲んだけど美味しい」と口々にしてくれる仲間もいました。中学校を卒業してから約30年。それぞれが歩んできた人生には、決して平坦な道ばかりではなかったはずです。困難や葛藤を乗り越え、こうして再び笑顔で巡り会えたことだけでも深い感慨がありました。しかしそれ以上に、私がこれまで酒造りと愚直に向き合い、重ねてきた努力が報われた気がしたのです。大袈裟ですが、この瞬間のためにあったのかもしれない。「自分はここまでよくやってきた」と、少しだけ自分を認めてあげることができた、かけがえのない時間でした。
私には、「自分の仕事で人を幸せにしたい」というポリシーがあります。お酒を飲んだ人が幸せになって笑顔を見せてくれることが、巡り巡って自分自身の仕事への糧になり、モチベーションを保つことができる要因になっているからです。逆に「この酒は自分には合わないな」と率直な意見をいただくこともあります。しかし、私はそれを決して否定的に捉えず、真摯に聞き出すことで、次の酒造りへの貴重な「種」にしたいと思っています。その種を大切に育てることで、さらに質の高い酒を生み出し、未来の誰かの幸せへとつなげていくことができるかもしれない。その課題と向き合うプロセスも、私にとって幸せへの道筋なのだと思います。
公私を問わず、普段から顔を合わせられる人もいれば、めったに会えない人もいる。だからこそ、一期一会の「出会い」への感謝を忘れないようにしています。
そして、酒を酌み交わしながら、時に温かく、時に厳しくアドバイスをくれる人々が周りにいてくれることが、私の酒造りにおける何よりの財産であり、「幸せ」なのだと感じています。この温かな巡り合わせからいただいた幸せを糧に、少しでも沢山のお客様に感動していただけるものを目指して、15年目の酒造りも頑張りたいと思います。